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アントニオ猪木(猪木寛至)さん死去最期のメッセージ動画、全身性アミロイドーシス闘病

元プロレスラーのアントニオ猪木(猪木寛至)さんが2022年10月1日(土)の午前7時40分に亡くなられました。

プロレス界のスーパースターの死去に多くの人が悲しみの声を上げています。

アントニオ猪木さん死去10月1日の朝に

元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが、2022年10月1日(土)の午前7時40分に、都内にある自宅で心不全のため、79歳で亡くなりました。

参院議員も2期務め、大きな影響を与えた人物の死に、各方面から悲しみの声が上がっています。

“燃える闘魂”アントニオ猪木さんが心不全で死去(2022年10月1日)

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闘病の末に、、難病の全身性アミロイドーシスとの闘病

アントニオ猪木さんが患っていたアミロイドーシスとは、アミロイドと呼ばれるナイロンに似た線維状のたんぱく質のかたまりが、全身の様々な臓器に沈着し、体の異常を起こす病気の総称であるとしています。

「全身性」の症状は、心不全や心臓障害のほか、ネフローゼ症候群や腎不全、胃腸の障害、末梢(まっしょう)神経や自律神経の障害など様々で、舌や甲状腺、肝臓が腫れることもあり、この病気の原因については詳細なメカニズムは判明していません。

アントニオ猪木さんは、2020年に「全身性」の症状が部分的に表れる「心アミロイドーシス」であることを公表しています。

その後も闘病を続けており、2~3日前から低血糖で体調を崩し自宅での療養生活が続いていましたが、前日持ち直したと思った翌日の朝、状態が悪化し自宅で息を引き取りました。

 

アントニオ猪木さん最期のメッセージ動画が公開される

亡くなったアントニオ猪木さん「最後の仕事」とされる映像が、公式ユーチューブチャンネル「アントニオ猪木『最後の闘魂』」で1日夜に公開されました。

|アントニオ猪木「最期の言葉」

こちらの動画は9月21日に撮影されたもので、今回をきっかけに休止していたユーチューブでの活動を再開する予定だったとしています。

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アントニオ猪木さんについて

名前:アントニオ猪木
本名:猪木 寛至(いのき かんじ)
年齢:享年79
出身:横浜市

-経歴-
1943年(昭和18年)2月20日に横浜市鶴見で生まれた。

5歳で父親を亡くし、中学1年生(13)で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働く。

 
1960年、17歳の時に現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった故力道山さんにスカウトされ1960年4月に日本プロレスに入門

1960年9月30日に台東区体育館での大木金太郎戦でデビュー(プロ野球からプロレスに転向した故ジャイアント馬場さんと同日デビュー)

1962年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。

ジャイアント馬場さんとのタッグ「BI砲」で力道山亡き後の日本プロレスを支えるも1971年12月に日本プロレスを追放

 
1972年3月6日に大田区体育館で新日本プロレスを旗揚げし、タイガー・ジェット・シンら外国人スターを売り出して多くのファンを獲得

1976年にはボクシングの世界ヘビー級王者、モハメド・アリと異種格闘技戦にて格闘技世界一決定戦を行うなど、プロレスブームを巻き起こしたてプロレス界に一時代を築く。

 
1989年にスポーツ平和党を結成し、参院選で初当選し90年の湾岸危機ではイラクに乗り込んで人質となった日本人の解放に尽力、北朝鮮との交流など政治家としても活躍。

1995年に落選するも、2013年には日本維新の会から参院選へ出馬し、18年ぶりに国政復帰し北朝鮮をたびたび訪れ、親善活動に取り組み2019年に政界を去っています。

 
1998年にプロレス現役を引退するも、イベント企画などをその後も手掛けていきます。

2018年に難病指定の「心アミロイドーシス」を発症していることを告白し闘病生活を送る。

2022年の日本テレビ系24時間テレビに生出演した姿が公の場での最後。

2022年10月1日(土)午前7時40分に永眠

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猪木氏を知る多くのファンや人、最期のお別れの言葉

40年ほど前、気力げなくなった中学生だった私は、夜放映されていた、ワールドプロレスリングが目に入った。猪木さんの倒れても倒れても立ち上がる姿をみて、人は倒れても倒れても立ち上がれるんだとメッセージを受け取ったような気がしました。それから、私は勉強や色んな事を頑張れて成績もぐーんと上がり、困難な事にも猪木ボンバイヤと頭の中で唱えながら、何回も乗り越えました。ランナーズハイを感じたこともありました。今の私があるのは、猪木さんのおかげです。人生の師である猪木さんに感謝しかありません。もちろん、今もプロレスファンです。病気をされても、諦めず行動され、みんなに元気を伝えてくださいました。お疲れ様でした。安らかにお休みください。

ここまで生き様、死に様を曝け出して、全てをエンターテインメントにした人もいないのでは?最初に政治の世界に入った時は、賛否両論だったかと思うけど、ここまで来たら、もう彼の人生を否定しようもない。良いとか悪いとかを超えた存在。プロレス界の中では、力道山か馬場か猪木か…的な論争になるけど、猪木はそれだけの存在じゃなかったからね。日本社会において、やはり一つの何かだったと思う。

色々と問題もあったにせよ、いい意味で面白い人だったと思う。この人の凄いとこは、長嶋茂雄とかみたいな日本限定でしかないローカルなスターじゃなくて、知名度を活かして本業のプロレスや格闘技のみならず、イラクや北朝鮮などの海外でも、そんな国に関わってもお金の損得を考えれば間違いなく損だったろうに、自分がやりたいと思ったことをやる活動をひたすらしたのは本当にグレイトだったと思う。

真のファンは、もちろん全盛期の光り輝いている姿も応援するけど、好きになった人が、その後どう歳を取り、どう人生を終えていくのかまで、興味があると思う。自分は、猪木の後の世代からプロレスを見るようになったので、そこまで応援してきたわけではないけど、今回の動画を見て、強かった頃の姿が思い浮かび、胸に来るものがあったし、自分の人生についても色々考えさせられた。

自分の中であまりに死とは対極にいる往年の大スターで信じたくないというのが今の心境です。危険を顧みず、一見無謀なことでさえ挑戦して道を切り開くその姿から勇気づけられたのはプロレスファンだけではないでしょう。未だコロナ禍が収束しない中、大病を患ってるのに24時間テレビに担ぎ出されていてとても心配していました。無理しすぎたのかな。番組作りも大切だと思うし、本人の強い意志で出演されたのかもしれないがいずれにしても配慮が足りなかったのではと思います。お悔やみ申し上げます。ありがとう猪木。