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女性記者へ性暴力の長崎市幹部の名前だれ?原爆被爆対策部長の自殺どこか判明!田上富久市長謝罪

2007年に長崎市の男性幹部から、報道機関の女性記者が性暴力を受けた事件。

市に損害賠償を求めた訴訟で、長崎地裁が約1975万円の支払いを命じた判決に関し、田上富久市長が7月13日に原告女性に対面で謝罪しました。

当時、原爆被爆対策部長であった男性幹部(59)の犯行動機や正体は。。

長崎市の幹部ば女性記者へ性暴力事件の概要

この事件は、2007年7月の午後10時頃におきており、報道機関の女性記者が当時長崎市で幹部(原爆被爆対策部長)を務めていた男(59)に性暴力の被害を受けた事件。

被害者の女性記者は、原爆被爆対策部長の男に参院議長に関するインタビューの機会を設置してもらため電話でコンタクトをとった際、「要望を出せば東京側で調整すると思う」「今から会おう」「来い」と強要され、何度か断っていました。

しかし、別の取材先に向かっていた記者は、指定の場所がその途中であったため部長に会いに行くこととしましたが、その後に性暴力被害を受けたとされています。

女性記者は、本人へ抗議し市にも抗議していますが否定され、その後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、同年の8月下旬から会社を休んでおり、記者の所属する報道機関が10月31日に市側に直接抗議をしています。

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性暴力の部長は容疑否認、問い詰められ自殺逃亡

被害にあった女性記者は本人に直接抗議をしましたが、男性部長は「自然発生的にそうなった」と主張していますが、「抵抗してもなんどもやめるように言ったのに聞こえなかったのか」と問い詰めたところ、「聞こえていたけどやめたくなかった」といった発言をしたとされています。

当時この件が刑事事件となっていなかったようですが、その背景には「部長が逮捕された場合の式典のことや、被爆者、新市長がどうなるのか」という判断が働き、警察に被害を告発することができなかったと述べています。

 
男性部長は2007年10月30日に田上富久市長に事情を聴かれた際、「合意の上だと思っていた。市に迷惑をかけるので職を辞したい」と話して辞職願を出していたようですが市長は全貌を知るために一時預かりとしており、11月1日にも部長から事実関係について話を聴く予定でした。

しかし、11月1日の午前1時50分ごろ、長崎市虹が丘町の登山道わきで、男性部長(59)が木に首をつって死亡しているのを捜索中の浦上署員が発見し、争った形跡がないことから警察は自殺とみています。

また、この直前の31日の夜に市内で会食した知人に男性部長が自殺をほのめかす発言をしていたことも明らかになっています。

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長崎市は部長を擁護で全力隠ぺい?事件から訴訟まで

2007年7月
女性記者が原爆被爆対策部長の男に性的暴力の被害にあう

2007年8月下旬
女性記者は事件によってPTSDを発症し務めていた会社を休職

2007年10月
30日に男性部長が市長に依願退職届けを提出、翌日の31日深夜に自殺し11月1日に発見される。

2008年8月
女性記者が第三者委員会の設置を要求するも長崎市が全力拒否。

2008年10月
長崎市の対応に女性記者が日本弁護士連合会に人権救済申し立てを行う。

2014年2月
女性記者への誹謗中傷が出ていたことから、日弁連が市役所や市議会での虚偽の噂が女性記者へのインターネット攻撃につながったと認定し、長崎市に対して女性記者の名誉を回復するための謝罪と再発防止を行うよう勧告を行う。

2017年
2長崎市は日弁連の勧告について「調査が不十分」だとして受け入れを拒否する。

2018年3月
長崎市が「同意の上か否か、職務上の権利を利用したものか否かを容認することはできない」と詭弁を主張し、勧告の受け入れを再度拒否。

2019年3月
長崎市が「今後は金銭要求も含め一切の請求を行わない」ことを条件に女性記者へ謝罪すると自分たちにとって都合の良い「解決案」を提示。

2019年4月
女性記者側が市に対して、元部長の性暴力と二次被害の責任を認め、謝罪することなどを盛り込んだ「解決案」を提示するも断られたために提訴に踏み切る。

2019年7月
2019年7月の市議会で訴訟が取り上げられた際に市議から「被害者はどっちか」といったヤジが飛んだため、女性記者の弁護士らが発言者の特定を市議会に求めるも長崎市側は発言者が特定できないとして調査を断念するとの意向を示す。

※その際の調査でヤジがあったことは市議らも認めているものの、犯人は名乗り出ず特定を避け隠ぺい。

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長崎地裁判決により田上富久市長が謝罪

2007年に女性記者が長崎市の男性幹部(死亡)から性暴力を受けた事件で、長崎市に損害賠償を求めた訴訟の判決が2022年5月30日にだされ、長崎地裁が長崎市に約1975万円の支払いを命じました。

田上市長はこの判決を受けて、2022年6月7日の記者会見で、控訴を断念することを発表し「主張を尽くした上での判決で、真摯に受け止める必要がある。反省し、心より謝罪させていただきたい」と述べ、その後、田上富久市長は7月13日に原告女性に対面で謝罪すると明らかにしています。

7月13日に行われた謝罪で、市長は次のように述べています。

田上市長は「部長の行為は、職務上の立場を利用した公務員としてあるまじき行為であると重く受け止め、使用者として深くおわびする」と謝罪。「二次被害を防止するための注意指導を行うべきであったとの判断も重く受け止め、重ねておわびする」と陳謝した。

 加えて、記者に過失があったとの裁判での主張について、根拠がなかったと認め、「15年というあまりにも長い歳月にわたって苦しめ続け、記者として活躍する可能性を妨げたことについても、心からおわびする」と頭を下げた。

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原爆被爆対策部長の名前や顔画像、自殺の現場判明は

女性記者に性暴力を行った人物について、犯行時は原爆被爆対策部長であったとされていますが、その翌月に長崎市の企画部長になっています。

経歴としては下記の情報が判明していますが、名前や顔画像などについては秘匿されており公開がされていません。

名前:不明
年齢:59歳(故人)
性別:男
職業:公務員
役職:原爆被爆対策部長(最後は企画部長)
職場:長崎支庁
住所:長崎県長崎市
死因:自殺(首吊り)

▼経歴
1971に入庁、観光課長や自治振興課長、議会事務局長などを歴任。
2004年から原爆被爆対策部長を務め、2007年8月には市の筆頭部長にあたる企画部長に就任。

自殺の現場となったのは、自宅から約1.5kmほど離れた長崎市虹が丘町の登山道わきの山中で、ネクタイで木に首をつって死亡しているのが発見されています。
※2007年11月1日の午前1時ごろ、家族から「帰宅しない」と届け出を受け、警察が捜索。

 

判決や謝罪、事件にネットの声は様々

判決出たから事実だとは限らないでしょ。この件に限らず賠償系は裁判官をどれだけ信じさせるかが勝負だからね。客観的な揺るがぬ証拠がない限り信じません。

田上さんの在任中の事案なのに、否定し続けた結果、判決が確定すると手のひら返しで、棒読みカンペの朗読謝罪会見でした。真摯に謝罪の気持ちがあるのならば、カンペなしで会見をするはずですが、この市長からは、それすら感じられません。任期が切れたら、新しい人に市長の任を交代してもらいたいです。

この市長の在職中の事件であり、あまりにも長期間にわたり女性記者を苦しめる結果になったのは、全てこの人の最終判断に拠るもの。平和都市ナガサキの市長として、そもそも不適格だったってことだと思う。

裁判で女性が請求した謝罪広告は、拒否しながら謝罪をするなら、その行為は、私的な行為になるのでは、そうすると公用車の使用、その他の経費は、公費での支出は出来ないはず。謝罪をするなら、裁判で謝罪広告を認めるべきだったはず、主張に一貫性がない。

長崎市が支払う賠償金は税金。市民感情として亡くなった市幹部の不法行為に対して税金支出は納得できないと言う声が挙がるのではないかと思う。判決が確定しているので長崎市は支払いの義務を負うが、その分の支出を亡くなった市幹部の家族に求めて行くだろう。残された家族は悲惨だ。

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