2019年10月31日(木)に沖縄の那覇市にある首里城で起こった火災について、火災の原因究明や、その際に撮られたと思われる動画の謎、収蔵品の消失や無事の確認など、様々なことが調べられています。
火の消化が完了して2日が経過し、まだまだ分からないことも多いですが、その中でも少しずつ情報がまとまってきているようです。
今回は、首里城炎上にまつわる様々な疑問などを検証していきたいと思います。」
もくじ
首里城火災の原因は?
那覇市の首里城で木造3階建ての正殿などが焼失した火災は、沖縄の方はもちろん、多くの方に大きな傷を残しました。
この火災が発生したと思われる時間帯、正殿1階で炎が噴き上がる映像が防犯カメラに記録されていたことが11月2日に分かったとの最新情報がはいりました。
また、沖縄県警は、警備員らの証言「正殿の裏手にある1階の北寄りの窓から煙が激しく出ているのを目撃した」といった証言なども踏まえ、正殿1階が火元とほぼ断定し、火元とされる正殿1階の北側の焼け跡から焦げた分電盤が見つかっていたことも判明しました。
現状では、この分電盤が火災の原因では?とされていますが、県警は火災との関連の有無を慎重に調べており、炎が上がっていた北側を中心に実況見分を進め、出火原因の特定を急いでいるとのことです。
また、捜査関係者によると、正殿内に外部から侵入した形跡はなく、県警は放火の可能性は低いとみているとのことです。
火災時の至近距離動画はどこから?
首里城火災の様子がSNSなどを中心に、インターネット上で拡散されていますが、この火災映像で「至近距離から撮影した」とされる映像についてどうやって、だれが撮影したのか?といったことが謎とされています。
映像は消化作業をしている際中の正殿を捉えたものであるとされていますが、この撮影をしたのは消火活動中の消防士や警備員では?との声も出ましたが、消防士や警備員はそれを否定しているため、だれがどのようにして消火作業中の正殿を近距離から撮ったのかというのは謎となっています。
首里城が炎上している様子を間近で撮影したとみられる動画がツイッターで拡散されている。消火活動中に現場にいたのは、消防隊員や施設関係者などごく一部。消防や警備会社は「炎上する様子の動画は映していない」と否定しており、拡散された経緯は分かっていない。
城内の御庭(ウナー)内で撮影されたとみられる約15秒間の動画には、正殿や南殿、北殿が激しく燃えている様子が映り、拡声器のような物を片手にした人影もある。
※参考:沖縄タイムス
実際の映像
沖縄の友達から送られてきた、首里城の炎上動画。
数十年かけて復元したばかりなのにとても悲しい。
那覇市が募金の口座も開設するらしいので確認してみてください。 pic.twitter.com/xeD3jpSwgg— みさ@内科医の妻 (@misadrmmisa) October 31, 2019
那覇市消防局のコメント
警備会社のコメント
収蔵品はどれくらい無事なのか?
今回、炎上した首里城に収蔵されていた各種の品々について消失が確認されたのは約1500点という収蔵品や展示物のうち、琉球王国の資料などが約400点とされています。
この収蔵されていた400点については、絵画や漆器、書跡、染織などのうち、琉球王国を支配した尚家に伝わる資料とのことです。
残りの酒造品については耐火性のある二つの収蔵庫に保管されており、約1100点は焼失していなかったと発表がありました。
ただ、火災時の熱や消火活動で傷んでいる可能性はあるため、こちらは専門家を交えて状態確認を進めているとのことです。
首里城焼失の歴史
首里城は、これまでに過去4回に渡って焼失がされており、今回で5回目となるとのことです。
1453年:志魯・布里の乱(しろ・ふりのらん)
琉球王国の第1尚氏王統5代、尚金福王の死後、王世子の志魯と王弟の布里が、王位を争った乱のことで、この争いで首里城が全焼。
1660年:火災によって消失(詳細不明)
1709年:火災によって消失(詳細不明)
1945年:第二次世界大戦
第二次世界大戦の際におきた沖縄戦でもアメリカ海軍の艦艇からの砲撃にて焼け落ち、琉球王国時代の文化財や資料が多く失われていました。
2019年:火災によって消失(原因究明中)
ネットの反応
首里城焼失の報道をまたやってたが、まだ出火原因は判明してないのか。正殿1階から見つかった焼け焦げた分電盤、そこからの漏電ではないかと言われてるが。
映画や小説でしか知らないが金閣寺の炎上焼失は若い僧侶の放火だったとか。
首里城焼失が恨みなどによる故意の放火でないことを願うのみ。 pic.twitter.com/Ih3cDQgVm1— アイリス1989@nandasaka konnasaka2019 (@verbindung2010) November 3, 2019
首里城の炎上、何故か金閣寺の、京アニメの炎上が重なります。ガードの固いはずの建物が簡単には焼け落ちてしまう。
不思議で仕方がない。
予見できたのかもしれない。
次は何処かと考えてしまう。— kutuzawaminoru (@kutuzawaminoru) November 3, 2019
建造後300年もたてば赤瓦も丹塗りの柱も元の色を維持していないとは考えないのだろうかこの人は。しかも琉球処分後、首里城は整備もされず放置されていたに等しい。挙句の果てに地下に日本軍司令部が掘られ、米軍の砲撃を受けて炎上崩壊した。なお中華人民共和国が成立したのは沖縄の米軍統治より後。
— 角田剛俊 (@kekuxxx) November 2, 2019
首里城74年ぶり5度目の炎上 pic.twitter.com/lWQZInZnJB
— JUN (@jun_oyafukou) October 31, 2019

