アフガニスタン東部で長年、農業支援に取り組んでいた中村哲さん(73)が襲撃され殺害された事件で、襲撃について事前に危険情報が伝えられていたことがわかりました。
中村さん含め6人全員が死亡した襲撃事件はなぜ起こったのか?そして襲撃計画を知りながらも危険を承知で支援を貫いた中村医師の信念はなんだったのか?調べてみました。
もくじ
アフガニスタン中村医師襲撃事件
襲撃事件は2019年12月4日(水)午前8時頃、アフガニスタン東部で進めている灌漑(かんがい)工事の現場に車で向かう途中でおこりました。
襲撃犯の武装グループは5人で2台の車に分乗しており、中村さんが乗った車に追走し、進行を遮った後に銃撃したとみられています。
※ボディーガード3人と運転手・同僚は即死
中村さんは、襲撃を受けた直後は生存しており、すぐに地元病院で応急処置を受け一時は「命に別状はない」とされていましたが、その後容体が急変し腹などに複数の銃撃を受けた傷が元で死亡しました。
▼襲撃を受けた中村医師が乗っていたトラック
▼事件現場を調査する警察
中村さん襲撃地と犯人の正体は?
中村さんが襲撃をされた場所はアフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードであるとされています。
▼日本からの位置関係
事件を目撃して人物の証言では、裾の長い民族衣装「シャルワール・カミーズ」を着ており、顔は隠していなかったとされていますが、現場周辺にはカメラなどもなく所属や人物の特定にまでは至っていないようです。
また、武装グループは襲撃後、まだ動いていた中村さんを見て「まだ生きている」と再度発砲したとも証言しており、執拗で強固な殺意があったものと思われます。
※犯行にはアフガニスタンなどで流通する自動小銃「AK47」(カラシニコフ)使用の可能性
アフガニスタンの旧支配勢力であるタリバンは「アフガニスタンの再建に貢献した」組織とは「良い関係」を保っているとして犯行を否定しています。
また、中村さんが進めている水路の工事に関して「水の利権」に関する不満が一部で出ていたともされており、その関連も疑われています。
襲撃で死亡した中村哲さんについて
名前:中村哲(なかむらてつ)
年齢:73歳没
生誕:1946年09月15日
死没:2019年12月04日
出身:福岡県
職業:日本の医師
趣味:登山と昆虫採集
ペシャワール会現地代表
ピース・ジャパン・メディカル・サービス(PMS)総院長。
▼経歴
九州大学医学部を卒業、医師免許を取得後、国内病院勤務ののち1984年にパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任して以来、20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事。
パキスタン・アフガニスタン地域で長く活動するも、パキスタン国内では政府の圧力で活動の継続が困難になったとして、以後はアフガニスタンに現地拠点を移して活動を続ける。
2019年10月7日、アフガニスタンでの長年の活動が認められ、同国の名誉市民権を授与
※アフガニスタンでは国家勲章、日本では旭日双光章を受章
襲撃計画が伝えられるもなぜ中村さんは継続したのか?
アフガニスタンでは2008年にペシャワール会の同僚である伊藤和也さん(当時31)が殺害される事件が発生しています。
その事件の後も、中村さんを誘拐したり攻撃したりする計画の断片情報がたびたび寄せられており、今回の襲撃についても事件の約1カ月半前には州政府から、事件数日前には治安機関から、中村さん本人に危険情報の伝達があったとされています。
中村さんは警備員が付きまとうことを嫌がっていたようで、
「警備などつけず、自然体で地元のためになることをやり続けることが一番の安全策だ」
といった信念のもと行動をしていたとされています。
※今回、同道していた警備員については中村さんを説得して警備車両1台と警備要員4人を派遣していたようです。
アフガニスタンの人々から尊敬され慕われていた
中村さんを知る人物は、「中村さんはアフガニスタンの人々に寄り添い、信頼されていた」と語っています。
専門外だった用水路建設に手探りで取り組み、将来は現地の人だけで補修できるように、コンクリートではなく、金網の籠に石を詰めたブロックを護岸に使って現地を尊重する姿勢は徹底していたようです。
中村さんは2018年にアフガニスタンで国家勲章を受章し、2019年10月7日にはアフガニスタンでの長年の活動が認められ、同国の名誉市民権を授与されていました。
また、現地の人々は、中村さんのことを「ドクター・サーブ」と呼び慕っていました。
※英語で言い換えれば「ドクター・サー」となり最上級の尊称
殺害現場のジャララバードでは4日夜、多くの市民がろうそくをともして追悼。
中村哲医師を称え、惜しむ声
アフガニスタンの青年と、DMをし続けています。
「見てください。アフガニスタンの航空会社のひとつが、中村医師に敬意を表しています。航空会社の名前は"Kam Air"です」
正直なところ、私たちは中村医師がこんなにアフガニスタンで愛されていることを認識していたでしょうか?#中村哲#中村哲医師 pic.twitter.com/dUT9YklvdL
— pomomi caterina (@pomomi) December 5, 2019
アフガニスタンの医師襲撃事件。報道される度に凄い人だったんだと知る。子供達が泥水を飲んで赤痢になって死んでいく姿をみて、薬より水が必要だと1600もの井戸を掘り、灌漑用水の設計をした。医師から技師へ。私達が知らないところで、本当に必要な事を黙々とやり続けた中村医師。ご冥福を祈ります。
— 越前屋俵太 (@echizenya_hyota) December 5, 2019
日本人の中村さんが亡くなってアフガニスタンの人達は悲しんでいます
日本人の人達は忘れたかな?
戦争中なのにアフガニスタン南部カンダハルの市長は、東日本大震災の被災者に義援金5万$(約400万円)を送ってくれましたよね。武器を爆買いしてる今の日本、中村さんの意志とは真逆ですよ! https://t.co/Nr2duOthy8
— asuka 🎓️🇸🇬 (@Asuka_SGP) December 5, 2019
しかし中村医師って本当に偉大な人だったんだな。
アフガン政府だけならともかく、タリバンまで業績をたたえた上で犯行を否定する声明出すとか、内戦中の両陣営から悼まれる人ってすげーよ
そんな人は亡くなり、口だけ勇ましい国士様は安全な国内にいて無事なんだから、本当にこの世は本当に理不尽よな— 愛国心の足りないなまけ者 (@tacowasabi0141) December 5, 2019
【追悼復刊決定】中村哲『アフガニスタンの診療所から』(ちくま文庫)
12/4、現地で医療支援などの活動を続けられていた医師の中村哲さんがアフガニスタン東部で銃撃され、お亡くなりになりました。心から御冥福をお祈りし、その志を、続く人々に残すためにも、心をこめて復刊させていただきます。 pic.twitter.com/JCZ4dtvwcp
— 筑摩書房 (@chikumashobo) December 5, 2019
金平茂紀氏
「『武器ではなく、命の水を』…アフガニスタンで戦火に苦しむ人々の支援活動を続けていた医師の中村哲さんが現地で死亡しました。悲しみが国境を越えて広がっています。
この国の愚かな為政者たちとは次元の違う、誇り高い生き方を貫いた中村氏のご冥福を心からお祈りします」— 但馬問屋 (@wanpakuten) December 7, 2019
アフガニスタンで日本人医師が殺害された。謹んでお悔やみを申し上げます。アフガンはヘロイン生産が世界一と言われる。貧しい農民がケシ栽培に動員されているのではないか。生きる為に。だが、土地が豊かになればそんな事はしないで済むようになる。その為に貢献した医師の殺害。動機があるのは誰か。
— 菊池 (@kikuchi_8) December 5, 2019
アフガンで中村医師追悼集会
1600本の井戸を掘り25kmにわたって用水路を建設。1万6500haの乾いた土地を緑の大地変えた。
中村哲医師「そこに住んでる人達と、いい信頼関係があること。これが武器よりも何よりも一番大切なこと」この信念は引き継いでいきたい。
武器を使っても幸せは訪れない。 pic.twitter.com/bV5ae29sdK— にゃん吉 (@nyankichi_uiy) December 5, 2019
世界では悲しみに包まれてます。しかし尊敬と偉大な功績をも讃えられて愛されて追悼もされています。アフガニスタンでは国葬として、大統領みずから棺を担いでいたようです。アメリカ政府の方もかけつけていたようです。
なんということでしょう(´⊙ω⊙`)日本政府だけがスルーですね…— m@ic (@m_ma65254668) December 7, 2019
「武器ではなく命の水を」NHKを観た。中村哲医師が水路を建設して村びと達が生活を取り戻す手助けをしていった記録。
それでもアフガニスタン全体の2%で灌漑できるようになっただけ。一体、この18年間、莫大な援助資金を得たアフガン政府や地方の有力者達は何をしていた?— masanorinaito (@masanorinaito) December 7, 2019
最後に
長年、アフガニスタンに貢献してきた中村医師の悲痛な最期、非常に痛ましい事件です。
戦争の貧困、戦争など世界の問題はまだまだ多く残っていますが、中村医師が行ってきた人道支援の輪を途絶えさせることなく広げていきたいですね。